2012年5月20日日曜日

海の物語 Vol.3



                      Una Casa Chiquita (Playa del carmen)





さて、その翌日、待ちに待った研修生が日本からやってきた。


30代前半の女子2名で、2人とも、パッと見は小柄で地味ながら、サーフィンの腕は、なかなかのものだった。


それもそのはず、一人は茅ヶ崎に家を構え、もう一人は四国から、師匠の友人に紹介されたということで、要は年間を通して、常に波の立つ好条件の元で、サーフィンに取り組んでいたのである。


これは、冬場にのみ風波の立つマレーシアとは、初めから意味が違う。


おまけに、日本には、たくさんの雑誌や教本、お金さえ払えばいくらでもうまくなれるようなスクールがたくさんあり、しかも、一度でも経験のある人ならわかると思うけれど、要は、遊びといえども、何事も真剣かつ勤勉に取り組むのが日本人なのである。




それに対して、南国在住のサーファーはといえば、一にも二にも雰囲気重視。


ビーチで、ボブ・マーリーを大音量で流しながら、リズムを取り、根性試しと称しては皆で集まって、真っ暗闇の坂をスケボーで滑り降りることはあっても、少しでもうまくなろうと、ビデオ撮りしてフォームを直したり、教本を読んだりというような面倒なことは、一切やらないのである。



実はこれこそが、我々ホームビーチ長老の大きな悩みでもあった。

仲が良いのは良けれども、これでは一向に伸びないのだ。


これでは世界のレベルに、いつまで経っても追いつける訳がない。


当時の私に取っては、他の誰もが上手に見えたし、まさか、我々がそんな低いレベルに甘んじているなどとは想像もせず、皆でわいわいと過ごす週末を、多いに満喫していた。


それが乾期になり、こぞって皆がバリへ移動するようになっても、この受難は続く。

というのも、インドネシア人と、マレー人は、ルーツが同じなのだ。


多少の違いこそあれ、同じ言語ルーツを持ち、ビーチに寄っては、同じ宗教を信仰するムスリム(多くのビーチボーイはジャワからの出稼ぎ)がほとんどのバリにおいて、他の外国人がすべてお客様(カモ)であるのに対し、彼らは兄弟分であり、日が暮れて、一泊40,000ルピア(340円)ほどの、水シャワー付きロスメンの前を通ると、たいていは、兄弟達が複数たむろっては、アラックで酒盛りをしたり、サーフショップの前に陣取っては、店に一台だけ設置されたテレビから流れるトムとジェリーなどを、一緒に見ては笑っているのであった。



私はマレー系でも、マレー語が堪能な中華系でもなく、現地入りすれば、日頃の貧乏暮らしを払拭するために、一人、お湯の出るバスタブ付き豪華ロスメンに泊まっては、束の間の休日を楽しむ別行動を取っていたのだが、それでも現地にいれば、行った先々で、似たような顔ぶれを見る訳で、たまに彼らとつるんだり、その兄弟分と話をするうちに、なんとなく仲間うちのおまけになっていたようだった。


もしかしたら、他のお金持ちサーファーのように、立派な板やいでたちではなかったことも、幸いしていたのかもしれない。


皆さんが、バリのビーチボーイにどういうイメージを抱いているかはわからないけれど、彼らは、たいていが家族を助けるために、他島から無一文でやってきて、ビーチに寝泊まりしながら、徐々に生計を立てていく、という、若くてもなかなかの苦労人が多いのだ。


まぁ、何しろそういう訳で、私はどこで入っても、そこの主に波を分けて貰い、おまけに、タイミングのGoサインまで出して貰って、初めてパドルし始めるといったようなグウタラぶりだったから、(そして、ぼんやりして遠くまで流されると、いつも誰かが助けにきてくれた)闘魂とか、気合いとは無縁の、甘ったれサーファーだったのだ。


それも、ここ、オーストラリアにて、一人っきりの状態になるまで、それに気付きもしなかったというのだから情けない。


これは私に取って、かなりの衝撃だった。

そう、波に乗りたければ、誰よりも早く覚悟を決めて、突っ込んでいかなければならないのだ。


波の動きをよく見、ベストポイントにいち早く移動したら、躊躇うよりも前に、テイクオフしなければならないのだ、失敗など恐れずに。


彼女らが、次々と波に乗って行く横で、私は一人たじろいでは、タイミングを逃していた。



それを見かねたのか、あるいは日を追うごとに、高くなっていく波を考慮したのか、ある日お師匠さんが、”今日は別のビーチで練習。”といい、車で出掛けた先で我々が見たものは、浅瀬のぎりぎり乗れるか乗れないか位の小波であった。


なんだか格下げされたような気がして、それでも気合いを入れて、海に入って驚いた。


波がないと馬鹿にしていたが、どうもこの一帯はどこにいけども、引きが強いのである。


さすがは大国オーストラリアの海。


陸地は当たり前のことながら、海の中も相当にワイルドなこの国では、人食い鮫を筆頭に、ブルーボトルと呼ばれる、状況に寄ってはショック死さえも引き起こす猛毒くらげやその他諸々が住んでいてのっぴきならない。そして、そのカレントの強さにも、ど肝を抜かれてしまった訳だ。


それでも夢中でアウトに出て、ちびっ子のいる方に陣取り、さぁ出陣、と思うやいなや、目の前を、スッと子供がよぎったかと思うと、次の瞬間には、軽々とその波に乗って行く。

その次も、またその次も、彼らは、いとも軽やかに現れては、波を取って行った。


さすがはサーフィンを国技とするパイオニア達である。


子供といえ、彼らの持って生まれたセンスの良さには、ただ、唸るしかなかった。



またしても、完敗であった。



(続く)





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