2011年9月11日日曜日

9.11

                           Sequoia tree, Yosemite/CA

敢えていつもと同じ一日で、やり過ごそうと思っている私のところに、相棒からこんなメッセージが届いた。

”もし時間があったら、9・11の罪なき犠牲者の為に、黙祷を捧げて欲しい。”

なんだか、猛烈にむっとしてしまった。

今年の3月に、日本は多くの人を津波で失った。

日本の津波だけではない。

ここ最近、毎年色んな国で起きている災害は、多くの犠牲者を出し続け、その一方で、人々はいつまでたっても争う事を辞めず、無数の人々が今日も命 を失っている。そして亡くなって悲しいのは、アメリカ人や日本人だけではない訳で、チリ人でも、インドネシア人でも、イラン人でも中国人でも同じで、不慮 の事故でなくなった人の命の大きさは、同じ。誰もが人の子であり、心があるわけで、何かの犠牲で亡くなってはいけないと思う。

悲しいニュースを聞くたびに、こうした惨事がなくなればいいのに、と心の中でどんなに願っても、それは片時としてなくならない。

人々が自らの無知に気付き、それを改めない限り、こうした事故は起こり続けるだろうし、起こったことを真摯に受け止め、きちんと対峙していかないと、問題の抜本的解決にならないどころか、事象は、反対方向に走り出してしまい兼ねない。

9.11以来、アメリカを始めとする空港ならびに国境の警備が、著しく厳しくなったのは、皆さんもよくご存知のことだと思う。

私は、このことが腑に落ちないのだ。

我々が向かうべき敵は、テロリストなのか?
一般人の中に紛れて、我々を震撼させようとする、イスラム原理主義者なのだろうか?

いいや、違う。

我々が向かうべき敵は、我々自身の無知に他ならない。

本当の事実を突き止めることなく、ただ単に、他者や多人種に対して警戒心を強め、特定の宗教に対して間違った見識を持つのは、浅はかかつ、非常に危険な行為だと思う。

ここ数年、アメリカを訪れる機会が増えた訳だが、人やシステムが昔に比べて随分様変わりしてしまっている風潮を見るにつけ、なんとも言えない気持ちになってしまうのは残念なことであり、今日のこの日を、敢えて、彼ら自身に考えて欲しい気持ちで一杯になるのだ。

黙祷を捧げるのは、何も今日だけに限ったことではない。

毎日が誰かの命日であり、平和の日であっても良いはずだ。

日々、静かに目を閉じて、自分を、他者を、世界の平和を祈る時間を持つようになれば、人々はもう少し思慮深くなれるのかもしれない。


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1 件のコメント:

  1. 衝撃的な911のあの日から10年、そして大震災から半年。
    NYCではこの二つの忌まわしい出来事の犠牲者の方々への追悼のコンサートが開かれたそうです。
    一方は大量殺人、そしてもう一方は自然の驚異ですが亡くなった方々一人多々の命の尊さは変わらないと思います。
    現在進行形でパキスタンの洪水やアフリカの干ばつ、
    そしてアフガニスタンやイラク、リビヤ、ソマリア、スーダン…戦争は地球上の多くの場所に驚くほど続いています。
    人間の愚かさというよりは、人間の貪欲さと浅ましさゆえなのかもしれません。
    9月21日はpeacedayです。
    黙祷とともに世界の平和を祈りたいと思っています。

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