2011年7月2日土曜日

ご無沙汰してます

                                               Laguna (Q.Roo Mexico)

メキシコに帰ってきてからというもの、早や5日目。

書きたいことはたくさんあるのですが、なんせ、日本→L.Aという究極の文明地から戻ってきた為、今更ながらのカルチャーショックと、体を慣らすことに忙しくて、未だ落ち着きません。

あ、インフラもいつも通りにて、お風呂の湯は昨日無事復活。ネットの方は、悪天候の為、まだきちんと繋がってませんが、それにも増して、帰るや否や、相棒の抱える撮影に振り回されて、ネット屋に連絡するのは、一段落ついてからになりそうです。


ところで、日本もそうですが、L.Aって、本当に何でもある街ですね〜。皆さん、行った事ありますか?

日系のスーパーは、日本と全く変わらない状態で何でも品が揃い、日本の本屋あり、日本のケーキ屋あり(味が現地のとは全く違います。これは、メキシコも同じかな。)、大物の来るコンサート会場あり、ビーチあり、山あり、イケメンどころも盛りだくさん(あ、ゲイストリートだけど)で、本当に楽しめました。

過去3年の間に行けた外国と言えば、ベリーズとか、グアテマラとかホンジュラスとか、メキシコと、国のレベルが似たり寄ったりの土地ばかりだったので、私の住むこの街とは色んな意味で、真反対のL.Aでの滞在は、非常に刺激的、かつ、驚きの連続。

山から下りてきたサルというのは、もしかして、自分のことかってくらいに、キョロキョロは止まらないし、通りすぎる人は、みんな綺麗どころで、いやはや、なぜL.Aが人気の都市なのか、今更ながら頷ける気がします。

そういう訳で、メキシコの空港に降り立った否や、まず気候からして、全く違う訳です。

むこうが”爽やか〜”だとしたら、こっちは、”まるっきりの蒸し風呂状態”。
むこうの人が皆、”クール”としたら、こっちは、皆、”人間くさい”(アニマルチック、という噂もある。)
むこうの景色が、”整って綺麗”だとしたら、こっちは、”無法地帯”

今までは全く気がつかなかったけど、どうして、ここの街路樹は、何の秩序もなく、多種類のものが、好き勝手に伸び放題なのか、というようなことが突然目に入るようになり、そういう目で”改めて”見てみると、先進国のそれとは違うことばかりです。

今日は、相棒にくっついて、病院に行って来たのですが、病院一つにしても、国によって、あり方が全く違います。

例えばこちらでは、カップルで行った場合、診察室にも2人で気軽に入ったりします。これは、日本やアメリカでも、あるのでしょうか?

まずは、ドクターと握手を交わして、世間話を少々。
それからいよいよ診察に入るのですが、先生は親密に、そして丁寧に見てくれるし、こちらも、聞きたいことは遠慮なく何でも聞きます。

まぁ、一言で言えば、お互い余裕があるってことなんでしょうけれど、まぁ、何しろ(特に私の相棒は)よく喋ります。

そして、最初はかしこまって側で話を聞いていた私も、会話が長引くに連れて、だんだん手持ち無沙汰になり、完璧に話が脱線した頃には、勝手に診察室にある体重計で自分の目方を計ったり、診察用に使われた打腱器(ハンマーみたいなやつ)で、膝の真下を叩いてみたり。

恐らく、こんな行為、日本や他の先進国では許されないと思うけど、私の住む場所は、メキシコでも、田舎の方なので、かなり緩い感じで、色んな意味で、緊迫感とは、ほど遠いところにあるように感じられます。

そしてその反対に、日本では絶対に起こらないようなことが起こるのも、ここならではでしょうね〜。
今日は、久しぶりに学校に顔を出してきたのですが、戻ってきてご飯を食べようかと思いきや、なんと、自分の家の鍵が開かないではありませんか。

ここ2週間ほど降り続いた雨の為に、湿気を含んだドア(どんなドアだ?)に付いた鍵穴の部分が変になってしまったらしく、ガチャガチャとしばらくはやって見たものの、てこでも動かない様子。

仕方なく仕事中の相棒に電話を掛け、当たり障りのないように、聞いてみます。

”なんか、ドアの調子が悪いみたいなんだけど、もしかして、この鍵、私がいない間にテクニックがいるようになったりした?”

”あ〜っ!あのね、下の鍵は壊れてるんだよ。”


”あ、そうだったの〜。(内心の声:お主、なぜそれを出掛ける前に言わぬ・・)いや、開かなかったから、どうしたのかなぁと思って電話して見たのよ〜。”

”あ、あのね、ペドロに頼んで、鍵屋を呼んで貰ったら、すぐ来て開けてくれるはずだから。”

”はい、わかりました。そうします。”

う〜む、我ながら素晴らしい出来映え。

これが3年前だったら、まず、1.開くはずの自宅の鍵が開かない事に切れ、2.お腹を空かせていることに切れ、3.鍵が壊れていると知りながら、うっかりと忘れて出掛けてしまう相棒に爆切れし、要は、いくつ腸(はらわた)が煮えくり返っても足りなかったことでしょう。

また相棒に関しても同様で、帰国前は確実に私のものだったヘアブラシが、帰ってきたら、見るも無惨な形に成り果てて、居間の床に転がっていて、その変わり様を呆然と眺めていたら、そこに現れた彼が、”これで猫をブラッシングしてあげると、とっても喜ぶんだよ〜。”と、にこやかに教えてくれるなど、少なくとも2ヶ月前と、何ら進歩の形跡はありません。

とまぁ、こんな具合で、例を挙げればそれこそ切りがありませんが、今誰かに、「日本の裏側までやって来て、手に入れた最大のものは何ですか?」と質問されたら、いちばん最初に答えるのは、”開き直る術を手に入れたこと”と答えると思います。

要は、うまくいってない時に、それにいちいち腹を立てていては、切りがない訳で、ハプニングが起こった時に、それを楽しむくらいの余裕がないと、ここではやられっぱなしになって終わってしまうということ。だったら、開き直って、楽しむしかない!(?)

L.Aに寄った時、その何でも揃うこと、すべてが綺麗で、快適なことを心の底から享受しつつ、どこか自分には不似合いだと感じたのは、”ないこと”に慣れきった生活をしていたせいで、あまりにも”ありすぎる”ことに、落ち着かなかったのだと思います。

ちなみに、”クール”という言葉は、ここ、L.Aで生まれたものに違いない、と殆ど確信に近いものを私は感じました。

人の性格は、住む場所の気候に学ぶ、と何かの本で読んだことがあるけれど、砂漠のように寒暖の激しい場所に住む人々は、白黒はっきりさせる価値観を持ちやすく(例えば:目には目を、と言ったようなこと)、死んだら一切が終わってしまうことを解く絶対神を信仰し、逆に、日本のような穏やかで豊かな四季のある気候を持った島国では、人々は生まれながらにその防衛本能も希薄で、性格は、気候同様、きめ細やかかつ、移ろいやすいものになるのでしょうね。

そういう訳で、L.Aでは、クール、という言葉がぴったりな人をたくさん見かけたけれど、一歩日陰に入るとひんやりして過ごしやすい彼の地に比べ、日陰に一歩入れば、湿気と熱気で余計に汗の吹き出るこの場所において、”クールな人”は、例えあと300年待っても生まれないんじゃないか、という勘は、当たらずともいえども遠からじだと思います。

あ、でもこの街、先進国には決してない味があって、野生の勘を育てたりするのにはぴったりですから、最近、どうも人間力が落ちてるんじゃないかと心配される方は、特にお薦めです。是非に遊びにきて下さいね。:)


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