2011年1月24日月曜日

神の子供

                                               Un Hombre (Tan pico)




正月にアメリカに滞在した時のこと、相棒の実家は、アメリカとメキシコの国境沿いの町にあって、年明け早々用事があって、橋向こうのメキシコの町に出掛けることになった。 

車で国境沿いまで赴き、そこから徒歩で橋を渡る。 
小さな橋を渡れば、向こう側はもうメキシコだ。 

以前、シンガポールに住んでいた時も同じような体験をしたが、地続きの国境を越えた途端、町の風貌がガラリと変わるのは、島国育ちの私には、ちょっとした驚きである。 

アメリカとメキシコ、ここにも大きな落差がある。 

どちらがどうというのではない。 

ただ、メキシコにずっといてアメリカに行くと、突然綺麗に舗装された道路や理路整然とした美しい町並みに衝撃を覚えるし、アメリカにしばらくいて、メキシコに戻ると、人、車、ゴミ、熱気の混じった、突然何の秩序もないカオス--けれど活気溢れるその場所--に舞い降りた錯覚に陥った気がして、体の中のエネルギーさえ変わった気がしてくるのである。 

さてそういう訳で、新年早々メキシコ側の税関で用事を済ませた私と彼は、道路の向こう側のアメリカ方面行きの橋に渡って、足早に歩き始めた。 

メキシコののんびりとしたムードと違って、アメリカに戻るには、長〜い行列を並ばないといけないのだ。 

ご存知の通り、アメリカに入るのは、今日日簡単ではない。 
一人一人が厳重なチェックを受けて、そのチェックに合格したもののみが、合衆国に迎え入れられるのだ。 

メキシコのように、”ちょっと、車の保険の件で向こう側までいってくるから、ビザはこのまま持っててもい〜い?”なんて、簡単にオフィサーに話しかけることはもちろんのこと、お菓子と引き換えにちょっと交渉なんてことは、問答無用だ。 

ぼやぼやすると、夕方のラッシュに巻き込まれて、前回と同然、入れてもらうのに2時間待ちなどと、偉い目にあう恐れもあるわけなので、何しろ狭き門に怒濤のように押し寄せる難民がごとく、なかば駆け足でアメリカ側に渡っていたら、橋の真ん中あたりで、むこうから、飴を持った行商のメキシコ人男が寄ってきた。 

”旦那〜、キャンディ一つ買ってくれよ〜!” 
”ありがとう。でもいらない。” 

無視して通り過ぎようとする相棒。 

しかし飴売り行商男はそれでも引かない。 

”旦那〜、キャンディ買ってくれよ〜。” 
”No、いらない!” 

苛立とともにそこを通り抜けようとする相棒に、それを半ば通せんぼしようとする行商男。 

”旦那〜、俺のことを知らないのかっ!?俺は○○の息子なんだよ。” 
”いらないっ!!” 



その肝心の○○のところが聞き取れなかったが、結局、一言二言言葉を発した後、彼は諦めていってしまった。 

そして、やっと列にたどり着いてほっと一息ついた後(この時すでに50人くらいの行列)、改めて聞いてみた。 

”ね、あの男、さっき何ていったの?” 

”え?” 

”ほら〜、俺はなんとかのHijo(息子)っていってたじゃん。何の息子って言ったの?”

”神” 

”はっ!?” 

”神!” 

”はっ!?” 

”だから、神だってば〜。「俺はヘスース(ジーザス)の息子だ」って言ったんだよ。” 

”はぁ〜・・ジーザスの息子・・。でも、ジーザスの息子だったらそれがなんだって訳よ?!” 

”おれはジーザスの息子だから、小銭を寄越すべきだって言ってたんだよ。” 


”ぎゃははははっ!!!!” 





全く時として、メキシコ人のこの想像力、というか痣とさ(あざとさ)、たくましさには、驚くべきものがある。 

自分は神の息子であるからして、あなたは私から飴を買わなければならない。 

・・いったいどういう発想なんだ!? 

でもいいなぁ、このフレーズ。なんかやけに気に入った! 



”ちょっと私、神の娘だからさ。その服今すぐ脱いでよこしなさいよ。” 

”ちょっと、私に100ペソ寄越しなさいよ。え、いやだ・・?!あんた、私がジーザスの娘だって知らないわけ?!” 

”わたくし、神の申し子なんですから、家賃なんて支払いませんよ。” 




いいなぁ、いいなぁ、いいなぁ〜、あはははは! 

それに引き換え、アメリカ側のなんと元気のないこと・・ 

ハイウェイに入る信号に立っているホームレスは、たいてい士気のない顔をして、つまらなそうに立っている。 

そして、彼にお金をあげる人もメキシコのそれに比べて、極端に少ない。 

可哀想に思って、小銭を差し出しても、にこりともしなければありがとうの声も小さい。 

なんだか人も、風景もとっても無機質なのだ。 

これがメキシコであったら、普通にホームレスなんかしていない。 
ただ道ばたに座ってお金を乞う人は、たいてい体の悪い人かハンディキャップで、健常者は、働いて何がしらのチップを貰おうとするのである。 

それが、信号待ち1分間の口から炎を出す芸だったり、サーカスさながらの空中一回転であったり、さっと寄ってきて、フロントガラスを吹いてチップを稼ぐサービスでだったり、宗教者に扮した献金を求める人だったりと色々だ。 

バスに乗っていたって、ギターを乗り込んだ男がいきなり乗り込んできて、ライブを始めるので、おちおちのんびり景色も見ていられない。 

けれど、小銭を貰う為に、とてもエネルギッシュに働く彼らの姿は何がしかのものがあり、それで、見ているこちらも、ま、少しぐらいあげてもいっか、ということになるのである。 

何をするにしてもそうだけど、人間、愛嬌が大切だよな〜。 
それからユーモアのセンスってのもとっても大切だわね〜。 

新年早々学んだ、神の子事件の模様でした。

2 件のコメント:

  1. あははは、いいねー。ビバ、メキシコだねー!
    私も神の娘であるからして、うに丼が腹いっぱい食べたーい。ちょと違うか、、。

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  2. ウニ丼かぁ〜、いいねぇ〜!
    私は奈良漬けが食べたい・・って、なんだか私達、超庶民的レベル?(笑)

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