2010年11月18日木曜日

日本人であるということ


                                                              Tokyo 2010




シンガポールに住んで頃の話だが、町を歩く日本人観光客の姿を眺めていて、つくづくと感じたことがある。

それは、私達日本人が、とても”独特”であるということ。

観光客というならば、他にもたくさんいるのである。
アジアの坩堝(るつぼ)といわれるだけあって、シンガポールは、いつも大勢の人で賑わっている。中国人、マレーシア人、インドネシア人、ベトナム人、そして西洋人と、色んな人が常に行き来する国。

ところがそんな彼らと行き会って、中国人かと思って話してみると、彼らはマレーシア国籍の架橋であったり、インドネシア人だと思うとマレーシア人、ドイツ人だと思うとオランダ人と、そのアイデンティティを特定するのが難しい。

ところが日本人は、そんな中にあって、いつも特別な存在なのだ。
なぜって、私達は大抵の場合、他のどこにもない、仕立てが良くて垢抜けたファッションに身を包み、独特なメークで肌を覆い、独特の「間」を持っているから。

女の子の中には、今の流行なのか、履き心地の悪そうな靴を履いて、ペタペタと音を立てて歩いていたりして、目を引くことこの上ない。

私達の持つ「間」、それは「間合い」とも呼ばれるのかも知れないけれど、それは国の外では、「隙」と認識されることもある。
もちろん私達はそんな事には気付かない。

だから、私達は、旅先で良く標的にされる。
なぜって、たいていの旅行者は2人組か、それ以上で行動するので、一人ではない安心も手伝って、ますますその「間」を全開にしてしまうからに他ならない。

彼らが、治安の良い香港やシンガポールに留まっている間は良い。
けれど場所が、より物騒なインドネシアやアメリカ大都市のダウンタウン、中米などの経済状態や治安が良くない場所に移動すれば話は別になる。

危なげなところに行けば行くほどに、我々は心許なくなり、そして思う。
「やばい、狙われないようにしないと」と。

ところが、どんなに隙を見せまいと体を固くして、無表情で歩こうが、通りで待ち構えるハイエナ達は容赦ない。

彼らは、その狡賢そうな目を光らせて、やれ、”Tomodachi”だの”Chotto Mirudake”などと言いながら、遠慮なしに擦り寄ってくる。

そして、こちらが拒絶すればするほどに彼らは接近距離を縮め、最終的には、やれ財布がなくなっていただの、法外な値段で買い物をさせられただのということになる。

後進国を旅した人であれば、恐らく一度や二度は、このような体験があるだろうと思う。

そんな体験を経て、旅先で同じように彼らに掛かって、立ち往生している若い同胞者を見ると、人ごととは思えずに、そのハイエナ達に、一言言ってやりたいと思うこともあるだろう。

私もご多忙に漏れず、何度かそんな思いをした。
そして同時に考えた。どうして日本人はそんなに隙だらけなのか、と。



**
時を経て、3年ぶりの帰国を果たした夏、私はひょんなことから、その答えを知った。

久しぶりの日本は、全てが素晴らしく、完璧に機能していて爽やかだった。

しかし何だろう?
町を歩いてて、どこかがスカスカする。

最初は、全てがあまりにも機能的で、うまく行き過ぎているこの国に、”遊び”がないのが原因だと思った。
が、通りを歩いているうちに、ハッと立ち止まった。

この町(その時私は東京に居た)には、野良犬が居ないのだ。

メキシコでは、3歩歩けば、野良犬に当たる。
暑い時期など、そこら中に犬が寝そべって居るので、避けて歩くのが面倒なくらいだ。

そういえば、私達が子供の頃、通学途中の道の途中には、野良犬が一匹や二匹はいた。

野良犬は怖い。

だから、彼らの姿を感知すると、一瞬怯みながらもテレパシーを送る。
”こっちに来るな・・絶対こっちに来るな・・”と。

更に、彼らの側を通る際、私達は小さい体に、出来る限りの威嚇を表わすことも忘れない。
そして無事彼らの先を通り過ぎ、角を曲がってから、初めてほっと胸を撫で下ろし、同時に自分にこうも呟く。

”よっしゃ〜、犬に勝ったぞ!”と。

それが、犬でなく、酔っぱらいのヘベレケおじさんのこともある。
でも、道理が一緒だということを、賢い私達はその頃までに学んで知っている。
なので、通りに差し掛かって彼を察知するや否や、私達はごく自然に、持っていた棒切れで、意味もなく道路を叩きながら、右から左に、ごく自然に移動することを忘れない。

こうやって私達は日々、自己防衛本能を磨いていたのだ、と思う。

いつの頃からだろう。 

電車を待っていると、ホームに電車が入るたびに、不思議な音楽が流れるようになった。 
最初は、なんてケッタイな音楽だろうと感じたが、次第に、それはただの無機質な”オト”になっていった。 

次にはアナウンスが聞こえてくる。 

その声は、”危ないから白線の内側に下がって下さい。”と親切を焼いてくれるが、それは往々にしてヒステリックにも響いてくる。 
それで私達は、黙って指示に従うことにする。 

やがて季節が変わり、夏がやって来る。 
私達は、待ってましたとばかりに海に山にと出掛けて行く。 

するとここにも親切な人が待ち構えている。 

笛を下げた監視員のお兄さんは、こちらの一挙一動を実によく見ていて、何か事ある度に、ピピッ!と笛を鳴らしてから、マイクロフォンでこう言う。 

”そこ、危ないから飛び込まないように。” 
”プールの脇を走らない!” 

人に迷惑を掛けるのが苦手な私達は、彼らの言いつけに従って、迷惑を掛けない範囲の中で楽しもうと心掛ける。 

そして夕暮れ時。 

楽しい一日を過ごし、あぁ、楽しかった、と余韻に浸っていると、どこからともなくサヨナラを告げる、蛍の音楽が聞こえてくる。 

マイクロフォンは告げる。 
”このビーチは6時以降は泳げません。忘れ物をしないように気をつけて帰って下さい” 

それでいそいそと身支度をして、流れに遅れないように、帰路につく。 
通りには夏季限定の臨時バスなども待ち構えていて、大勢の人をあっという間に近くの駅や町まで運んでくれ、あとには静寂な浜辺が残るだけである。 

親切はまだまだ続く。 

帰国時に病院に行く用事があった。 
そこで、最初に目に入ったのは、昨今の流行らしき、抗菌スリッパなる代物だった。 
その不思議な紫色の光に、私はしばし見入ってから、こう考えた。 

抗菌って、何の菌のこと? 
水虫? 
それとも、空気中に漂う、数限りない病原菌?? 

考えれば考えるほどに、私の想像力は留まるところを知らず、好奇心は、今すぐにでも発明者に、そのカラクリについて、話を聞きたい気持ちで一杯になれども、私の目的は、あくまでも診断であって、抗菌スリッパの解明ではないのである。 

それで、非常に気にはなりつつも、そのウルトラマンビームならぬ、バイオレットビームによって、処方されたらしきスリッパをいそいそと履き、受付で渡されたコップを片手にトイレに直行する。 

ところが、ここでも私の驚きは続いた。 
通常、息を止めることに慣れているはずの場所が、ここでは、まるでお洒落サロンのような空間に仕立てられるのだ。 

更には、快適を助長するかのようなたくさんのスイッチが、所狭しと付いていて、終いには、どれが洗浄スイッチなのかさえ分からずに、変なボタンを押したお陰で、へんなところから、ピューッと水が勢い良く出てくるという始末。 

っと、ウカウカしていては、日本国民であることさえ脅かされそうな勢いだ。 

しかし冗談はさておき、私達は、こんなにも快適で、安心で、守られた国で生まれ育ち、最近では、野良犬の恐怖に戦く必要さえないのだ。 

私達は、家の外に出掛けても、誤って電車に敷かれることもなく、目的地には何時に着き、海の、どこから先が危険か一目瞭然で、プールで泳いでも、その脇で足を滑らせて頭をぶつけることもなければ、帰りのバスの時間を心配してソワソワする必要もなく、この世に数千数万と蔓延るばい菌に、運悪く感染することもなければ、トイレの中でさえ、飛行機のビジネスクラスさながらのサービスを受け、要は、危機に瀕したり、危険の中で、この状況を如何に対処するか、といったようなヒヤッとする実体験を、生活の中から一切合切一切失ってしまったのだ。 

そして、そんな環境に慣れ親しんだ私達が、一歩国の外に出るとどうなるか? 

それは、この文章を頭から読み直して頂きたい。 
そして、こんなことを言うのも、自ら、あちこちで散々痛い目に合ってのことだということを。 

私は今までに、ありとあらゆる場所・場面で、たくさんの失敗をしでかし、舌打ちし、一方的に怒った後になって、あぁ、そうだったか、と後悔することが、数限りなくあった。 

中でも、ここ、メキシコでの生活は、私を少なからず強くした。 
彼らに何度翻弄され、打ちのめされ、がっくりと肩を落としてきたことか。 

けれど、国を占領され、植民地となった母国に攻め入った外国人に使われながら、生き延びる体験が、彼らをどれだけ粘り強く、かつ狡賢にしたか、私は身を持って知る羽目になった。 

また、そんな経験を通じて、思い出す事もあった。 

私が大好きなインドネシアの島では(そして他の多くの土地でも)、ローカルは自分の国に売っているたくさんのものが買えない。 

それを、他国からきた私たちツーリストが意図も簡単に買っているのを、彼らはどういう気持ちで見ていたのか。 

綺麗な服を着て優しく微笑み、きめ細やかな肌を持つ我々を、彼らがどんな眼差しで眺めていたか。 

その彼らが私達にアプローチを掛けて、幸運にも手中に入ってしまったとする。 
そうした時に、嬉しさと同時に、嫉妬心が生まれてきはしなかっただろうか? 
同じ人間なのに、どうして生まれた国が違うだけで、ここまで持っているものが違うのか、と。 

旅をした人の中には、心や身を傷つけられ、あるいは持っていた大切な何かを取られた体験があるかも知れない。 

でも、そんな彼らに、私達は何の文句が言えようか? 
知らぬまに、私達は人を傷つけてはいなかったか? 
無垢であることは、時として罪であると、私達はどこまで実感していただろう? 

私は旅を通して、自らを、そして自分の生まれた国を、見つめ直す機会を得た。 
そして知った。 

日本が、幸福にも(そして不幸にも)外界から離れた土地で、長い間、他の誰に邪魔されることなく独自の文化を育み、私達は、”持ちつ持たれつ”という信頼ベースの基に、全てを執り行ってきた、極めて稀な民族であることを。 

そしてその結果、私達は、人の言う事を良く聞き、疑う心を持たず、困っている人を見れば、手を差し出さずには居られないような、美しい心の持ち主になった。 

それは決して間違いではないけれど、同時に知らなくてはならないこともある。 

人から搾取することだけを考えて、生きて行かねばならないサバイバーが、今も、この地球上にはたくさんいる、ということも。 

私達が、どんなに恵まれた環境で育った民族であるか。 

どんなに美しい気候に恵まれ、その気候を土壌とする美しい文化に育まれ、言葉を失う事も(漢字さえ読めない架橋が、シンガポールには少なからず居る)国を分けられることもなく、どこかに捕虜として連れ去られることもなく(私が現在親しく付き合う女性は、韓国系のロシア人で、彼らの先祖はその昔、日本人の捕虜としてロシアに送られ、そこで終戦を迎え、祖国に戻る事なく残留した。)家族を目の前で殺される事もなく、豊かな教育を存分に受け、家族の、周囲の愛情を受けて、大人になることができたかということを。 

そんな私達に、この地球上で出来ること。 
自分が出来ることは一体何なのか? 

それを、真剣に考えなければならない時期に差し掛かっていると感じるのは、果たして私だけだろうか。 

大切なのは、回った国の数ではない。 
大切なのは、その旅で私達が何を学んだか、ということなのかもしれない。



.

0 件のコメント: